映画「いきたひ」&長谷川監督講演会を終えて
何か大きなものを受け止めたのだけど
どう表現していいかわからないモヤモヤ感。
数日たち、日常生活の中の出来事に照らし合わせていくと
少しづつ「あ、これかも」
という感触をつかめてきた感じがしています。
たとえば主人が主人の家族と抱えている問題。
愛があるのに
この一年ですれ違ってしまってこじれている。
「墓にもはいらん!
たとえ親父が亡くなっても喪主はせん!」
と数日前の義父とのやり取りの後
言い放つ主人でしたが
先生のお話をきいた私は
ご先祖様と両親あっての主人であり
然るべき時には
主人が両親を看取るべきだと
主人のために改めて思いました。
きっとこちらも
怒りで親子断絶を描いていたであろう
義父に電話をし
何かあったら私を窓口だと思って
私に連絡をください、と念を押しました。
義父は素直に受け取ってくれ
またその報告を私から受けて
ブツクサ言いながらも
ホッとした表情を浮かべた主人をみて
主人も義父も心のどこかで
修復を望んでいるのだとわかりました。
普通の人にとったら
簡単なことなのかもしれませんが
ぶつかり合っている
男性二人の間を取り持つ緊張感は半端なく
私なりに
この世との別れをどうしていきたいか
どう見届けたいかで
今を考えてみています。
そして、もし明日から目覚めなかったとするならば
今日何をするべきなのかを考えながら
半歩だけ前に動いてみています。
また、講演会に来てくれた
寿命宣告を受けるような
病気にかかった友人は
次の日樹木希林さんの記事を送ってきてくれ
「生きる」ことに執着もしないけど
自由に命を尽くして生きた希林さんに
映画を重ねてくれていて
嬉しくなりました。
今朝は、レイチェルカーソンの
センスオブワンダーを伝える活動を
一緒にしているお友達が教えてくれて
レイチェルカーソンに捧げる曲を
作曲された方の解説を読む機会があり
「自然は、雪が解けて春が来るように季節は循環する。
同じように、死ぬことは「生きる」ことへの循環なのだ。
と僕は考える。」とあり
私たちにんじんの会が学んできた
「自然」というものの中に
この映画のテーマもあり
改めてにんじんの会の最後の講演会として
素晴らしいテーマであったと感じました。
普通の生活では、触れることのできない世界を
実体験で教えてくださった監督
そして上映を決意してくださった代表の宇野さん
上映実現に協力してくださった皆さん
ご参加くださった皆さんに心から感謝しています。
本当にありがとうございました!!
*1枚目の写真は、波動バラを抱えてくださっている
監督の写真をお借りしました。
*3枚目の写真は、懇親会で監督を囲む
今回の主催者・宇野さん(左)と
前回と次回の主催者・中井さん(右)
*4枚目は司会席からみた会場。宇野さんのご挨拶中。
100名近くのたくさんの方のご参加でした。
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