アートに触れる秋 <3>
人間国宝の染色家・志村ふくみさんに師事。
その時の卒業記念に織り
染め上げたお着物で
松山城二の丸庭園でのお茶事に
参加されていた
野本久美先生。
見た瞬間
志村先生ご本人を連想させた
優しい織と染色のグラデーションに
つい話しかけ
写真まで一緒に撮っていただいたのが昨年。
作品展に何度か立ち寄らせていただき
この秋には
大学の美学科で染色を学術として学んでいる娘と
先生のお宅へずうずうしくお邪魔しました。
すぐに出してくださったのが
ご自身で染めたタオルを
葉っぱでくるんであるおしぼり。
「ひとつ葉ですが」
という素敵な言葉を添えて。
あるもので
精一杯のおもてなしをすることは
長野で修行をされた時に学ばれたそう。
あそこは寒くて何もなかったな~
だからこそ
人が来たら
柿の葉っぱをてんぷらにするだけでも
とっても素敵な「ひとつ葉」のおもてなしとして
みんなが喜ばれていたと
話してくださる。
先生のお母さまが
急にスモン病で下半身が立てなくなったことで
美大に行くのをあきらめ
ずっとお母様の介護を40年。
それでも家族に頼み込み
数年だけ長野の村里に住む
織物作家の先生に弟子入り。
夜飲んだコーヒーが
朝には湯呑でカチカチに凍ってしまう
それはそれは寒いところでの修行だったのでした。
でも、その厳しい2年間が
野本先生の唯一の青春だったそう。
帰宅してからは
ずっとお母様の介護。
でも、それがあったからこそ
家で出来る仕事を…ということで
このお仕事に出会えたと!
お部屋には
3代の織機が並び
所狭しと糸の入った大切な箱の数々。
藍瓶もちゃんと育てておられ
お庭も染色用の植物がひしめいています。
インターネットもテレビも無くて
ラジオをずっと聴かれながら
お仕事なさっているそう。
もうお母様を天国に見送られて数年。
「やっと楽になると思ったのだけど
結局は母がいた時の方が
工夫して時間を作っていたみたい。
今の方が、全然仕事がはかどらないのよ。
不思議よね。」とおっしゃっていました。
一人になられてから飛び込んだ
志村先生のところでの弟子入りも
染めや織を
初めから終わりまで完結できる技術を持っている
京都いう街で
色んなことを勉強させてもらったと。
あそこは
日本の中でも
素晴らしい文化を持っていると
目を輝かせておっしゃる。
養蚕家の人が極少になってきていて
つむぐための繭を分けてもらえなくなったり
時代の波は容赦ない中
表立って
アピールもされず
こんな風に
色んな体験から
日々を感謝に替える術を持たれ
淡々と
でも情熱を持ち
創作を生活にされている方が
愛媛にもおられるのです。
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